平成の東大入試難問ランキング(日本史編)

コラム

平成元年から平成31年(西暦1989年~2019年)の間に行われた東大の日本史の入試問題について独断と偏見によって難問ランキングを作成しました。資料問題中心の東大日本史ですが難問は受験生の目線から見て、与えられた資料から推測するのが困難・レベルの高い知識が必要・解答欄が長すぎ、もしくは短すぎる・そもそも何を書いてほしいか理解不能な問題文など本番で見たら絶望しそうなものを難問の基準として考えます。

問題は「27か年」で有名な塚原哲也氏の「つかはらの日本史工房」の東大日本史/解法の研究を参照しました。

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第10位…2018年・問1藤原京の説明

東大日本史の大問1にしては非常に珍しく、資料がなく与えられた語句を使った説明問題の方式になっています。しかしこれであるがゆえに資料から読み解いていくということはできません。藤原京の単語自体知らない受験生はいないと思いますが藤原京の詳細な説明は教科書欄外レベルです。指定語句も官僚制については歴史用語ではない分使いどころが分かりにくい点も難易度にプラスされる要素。

教科書記載の分救いはありますが、古代にしては異色の出題法で、過去問で類似の論点もあまりなかったという点も考慮しての選出。

第9位…2004年・問2中世の貨幣流通

問題の一部には江戸初期の近世も含まれています。A、Cは頻出論点で簡単な問題ですが問題はB。永楽通報が明で作られ勘合貿易で日本にもたらされたことは分かりますが土中に埋まる過程は分かるわけがありません。資料にもこの部分に関するヒントはないため出題者は受験生が知っていると判断したのかもしれませんが…。

おそらく教授の専門から出題したがゆえに過大な要求になってしまった問題です。この部分だけなら過去最強レベルの難問だと思います。とはいえ貨幣が埋まる理由以外はそれほど難しいわけではないので部分点は取りに行きたいところです。

第8位…1999年・問4明治以降の教育史

学制から教育基本法までの制度・内容の変遷の概略を述べさせる問題。資料は年表のみです。1つ1つの事柄については知っていても教育史は学校でまとまって教えられる単元ではなく、それぞれの時代でかなり尻切れ状態になっています。東大の頻出論点でもないのでテーマ史として対策していた学生も多くないことが予想されることもあり、まとまって記述させるとなるとうまくまとめていくのは非常に困難だと思います。

一つのテーマを記述させる論述としては類題として1998年にも労働組合運動について記述させる問題があります。この手のタイプで受験生になじみのないテーマからくると単純な論述でも難易度は上がると思います。完答は難しいですが、部分点をいかに取るかという点で差はつきやすくなると思います。

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第7位…2007年・問3江戸後期の学問発展

文化史の問題。作品名と作者の暗記で終わってしまいがちな文化史ですががっつり論述させてきていて解答に困る問題です。文化の特徴というよりも発展と共通の方法をこたえさせてきており、資料から共通の方法をうまく導き出せるかがポイントになりそうですが、ぶっちゃけムズいです。私は現役生だったら多分それぞれの学問の特徴を書くので精いっぱいだと思います。また頻出分野でもないので過去問リサイクル的な発想も通用しません。

資料に出てくる人物自体は既知であってもそれをうまくまとめていくのは難しいという点で東大らしい難問だと思います。

第6位…1989年・問4立憲政治の必要性

明治期の立憲政治の必要性を問う問題。なにが面倒かというと問題文が受験生が伊藤博文ら調査団に加わっていたと仮定し、ドイツの忠告(日本の改革は急で立憲政治は適切でない)に対し、日本において立憲政が必要だということを説明せよとなっている点。このせいでイマイチ何を書いてほしいかピンとこないし、解答に困る…。もっと素直に聞けば混乱せずに欠けそうな気もしますが。

出題者はユーモアをこめて出した問題でも受験生から見ると迷惑に感じることもあるという問題。難問というよりは奇問に近いかんじです。

第5位…2006年・問1奈良時代の貴族

平安時代の貴族は国語の古文でも頻出だし、日本史でも重点的に学ぶところなので身近に感じる受験生は多いはずです。そして古墳時代~飛鳥時代の貴族(豪族)たちの氏族制度も日本史では頻出です。しかしその間にある奈良時代の貴族たちについては扱いが少なく、受験生の盲点になっていそうな問題。奈良前後の時代の知識を総動員し、かつ資料も注意深く読まなければならない東大らしい難問。

奈良時代の貴族マニアでなければなかなか初見では歯が立たない問題だと思います。東大タイプの問題にどれくらい慣れているかが出来を左右する問題と言えます。

第4位…2007年・大問1古代の貨幣流通政策

古代の貨幣関連というと富本銭や本朝十二銭、蓄銭叙位令あたりが思い浮かぶと思います。そして多くの受験生が代銭納は鎌倉以降の話題だし、結局この時代は貨幣流通は盛んにならず失敗したと考えるでしょう。そしてこの問題はそも盲点を突く難問です。資料をよくよく読み込んでみると畿内周辺ではある程度普及していたらしいことが間接的に書かれています。しかし直接普及したと書いてあるわけでもないし、前述の先入観がありそうなのでこのことに気が付くのは至難の業です。そもそも資料に出ている政策自体が教科書には載っていないなじみの薄い政策なのでとっつきにくい点もますます難しくしています。

先入観にとらわれると資料を読んでもなかなか答えが出なくなる難問と言えます。

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第3位…1990年・大問2院政~鎌倉期の京都と鎌倉

中世初期の京都と鎌倉の都市の発展を答えさせる問題。教科書にはかろうじて京都の右京がさびれていたことが載っているのみ(これ自体も細かい内容)でマニアックな分野と言わざるを得ません。資料として文章と地図が載っているがこれがあまり役に立たず、見ていてもさっぱりわかりません。解答では京都の中枢が交通の要所の東や南に移ったこと、鎌倉も港湾整備が進んだ海岸方面に都市が拡大したことが述べられていますが受験生がクオリティの高い答案を書けるかと言われると厳しいです。というか交通発展のために背景として荘園公領制を上げるのも難しく、一般的な受験生は京都と鎌倉の特徴を書いて終わりというのが現状じゃないでしょうか。

教科書に載っていない分野で資料が微妙だと推理に手間取るという点で難問です。

第2位…1991年・大問4条約改正をめぐる政府と民党

政府と民党が条約改正についてどのような論点で対立していたか聞く問題。まず議会開設前後(1889年)から初期議会期という時代設定があり、この「議会開設前後」に井上馨の欧化政策を入れるかどうかが生死を分けます。もし採点官が「前後」に井上馨は入らないとみなした場合、多くの受験生は減点されたと思います。これを除外すると受験生に書けそうなのは外国人判事任命問題や欧米風法典の編纂についてくらいしかありません。内地雑居に関しては条約励行論(内地雑居を認めない現行条約をあえて守ることで欧米を困らせようという考え)という対立軸があったのですが受験日本史ではまず扱わない論点です。

多くの受験生は井上馨と判事・法典問題の記述で終わってしまったのではないかと思われる難問です。

第1位…1993年・問3

小西来山が自身の俳句で、知らないはずのない奉行の名を「おぼえず」としたのは幕府権威に対してどのような姿勢を表明しているのか述べよという問題。まず「小西来山誰だよ」とツッコミたくなる問題。資料文もついているが小西が奉行を知らないといった理由が想定できるはずもない。はっきり言って何を書いていいかすら分からなくなるような難問。

こんな難問ではあるが模範解答としては東大お決まりの幕府の民衆統治政策が解答の柱になっているというのは意外な結末です。江戸時代の民衆支配は手を変え品を変えよく出題されますがまさかこの問題もそれを聞いているなんて気が付くことができた人は多くないと思います。

まとめ

こうしてみると東大日本史で難問になりがちなのは

・マニアックな分野からの記述問題

・テーマは分かるが受験生の盲点を突く出題

・資料から答えを推測するのが異常に難しい

というパターンが多いのかなぁと思います。どちらにせよ資料問題は初見ではなかなか手が出ないのでよく演習しておくことが合格の近道だと思います。

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